アンジェラ・ゴメスに会った

 アンジェラ・ゴメスとジョソール県庁の廊下で会おうとは!

 ジョソール滞在中、私は、エアポート道路から少し奥にはいったアパート「ルプ・アナン」の4階の部屋で暮らす。その隣に、女性の自立を支援するNGOバステ・シェカの本部がある。ルプ・アナンが建つまで、バステ・シェカのゲストハウスが、AAN調査団の定宿だった。
1999年、アンジェラ・ゴメスが「マグサイサイ賞」を受けた直後、私は花束をもってお祝いにいった。インタビューして、帰国後、新聞の文化面でアンジェラ・ゴメスの歩んできた道を紹介した。農村の女性が迫害される姿をみかねて、横暴な男たちとの闘いを開始し、貧しい女性が収入を得る道を開いてきた人生……。2000年の洪水のとき、救援活動に寄付してほしいと頼まれて、AANから10万タカ(約20万円)を贈った。ダッカ市内のパン屋でばったり会って驚いたこともある。
 ルプ・アナンの部屋からバステ・シェカを見下ろしながら、いつも気になっていた。泌尿器のがんの治療の経過はよいのだろうか? 元気にしているのだろうか? 隣にいながら、ここ5年くらい会っていない。

 思いがけない出会いがうれしくて、県庁のプロジェクト事務所に案内した。ソファーに座って話をした。顔色は前よりよかった。その代わり、精彩はなかった。治療の副作用で苦しんでいるという。「あの日本人はどうしているのだろうか」と、私を思い出すことがあったらしい。
 アンジェラ・ゴメスは、バステ・シェカで障害のある子ども、障害のある思春期の少女のリハビリを始めた、という話をした。話すことのできなかった少女が、バステ・シェカの庭掃除や出先の店舗の販売をするまで成長した。パソコンを操作するようになった車いすの少女もいる。
 バステ・シェカで新しい建物の建設が進んでいる。1階は、リハビリセンターや彼女らのつくったハンディ・クラフトの並ぶ店舗。2階は、障害のある少女たちの宿舎になるという。障害児の自立支援が、バングラデシュで進んでいることを、私はまったく知らずにいた。ルプ・アナンの足元で、その先駆的な取り組みがおこなわれていたなんて!
 「バングラデシュ・フリーダム・ファウンデーションの助成が終わり、いまは、自主財源でやりくりしている。日本に支援してくれるところはないか」
 そんな相談をもちかけられた。アンジェラ・ゴメスが私のことを思い出すときは、お金に困っているときなのだろう。さっそく、障害者自立支援センターの理事長をしている車いすの友人にメールをだした。海外の障害者をサポートしている財団を調べてくれ、と。
061203 アンジェラ・ゴメスと

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組織検査で、皮膚がんが治った

 11月28日、ダッカの山形ダッカ友好病院でのエクラスル医師が、ジョソールにあるAANバングラデシュの「医療相談室」で、砒素中毒の重症患者の診察をおこなった。定期的におこなっている診察である。今回の受診者は、シャムタ村とマルア村の重症患者ら13人。その中に、JAMPの患者発見調査のとき、チョウガチャ郡で見つかった皮膚がんの女性患者がいた。
 右手のひらに、赤くただれたがんが見つかったのは6月だった。皮膚の組織検査をすることにした。郡病院で皮膚がんの周辺を切って、ジョソールの「ラブスキャン・メディカル・サービス」を通して、ダッカの「パソロジー・サービス」に送った。数日後、検査結果がかえってきた。SCC(Squamous cell carcinoma、扁平上皮癌)と診断されていた。その月のエクラスル先生の定期診察のといみてもらった。
 エクラスル先生は、細胞検査のデータをみて、付き添ってきた夫に伝えた。
 「どこまで広がっているかわからない。その結果では、指も含めて切ることになるかもしれない」
 バングラデシュでは、妻の病気の治療、入院に関する権限は一般に夫がもっている。エクラスル先生は、妻がダッカに来て入院・治療を受けるように説得してくれ、と夫に言った。
 私は、先の派遣期間を8月半ばで終えて帰国した。今回、11月半ばから来年1月半ばまで2カ月の派遣でバングラデシュに来た。彼女のその後が気になっていた。
 彼女は、ダッカの病院には行っていなかった。心配だったので、再度、エクラスル先生の診察を受けてもらった。
 右手のひらは、縫ったあとを残すだけで、傷も痛みもない。正常だ。エクラスル先生は、女性の看護士に患者のわきの下をさぐらせた。リンパの異常もない。治っていた。
 「皮膚の組織検査のとき、がんを全部とってしまったのでしょう。初期に見つかったから、がんはまだ小さかった。幸運です」
 エクラスル先生は、そう言った。KK-Rakanは「おめでとう」と祝福した。女性は、うれしそうに笑った。チョウガチャ郡病院長のサラウディン医師の携帯電話に連絡した。
 「君の技術はすばらしい。組織検査用の皮膚をとっただけで、がんを治した」

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確認されていない患者はまだまだ多い

 午前8時、ジョソール空港に保健家族福祉省保健局(DGHS)のDr.シディクルを迎えた。23日にチョウガチャ郡のヘルスワーカートレーニングとメディカルキャンプの打ち合わせ、24日にヘルスワーカートレーニングをおこなう。それに参加するためのジョソール訪問である。22日は、そうした行事を前に、チョウガチャ郡の患者状況を把握するためのフィールド見学を予定している。
 チョウガチャのプロジェクト事務所で、ペイシャントモニター(看護婦の資格)のフィローザが見つけだした患者のリストを見た。すでに作成されている郡病院の患者リスト(医師が確認した患者)には235人が記載されている。フィローザ作成のリストには152人の名前があって、郡病院リストと重なった患者は黄色の線で消してある。重なった患者を除いても、新たに130人あまりを見つけたことになっている。これまでにフィローザが回った限られた地区だけで、郡の医師が見落としてきた患者が130人もいたということだ。KKは、フィローザは砒素による角化や色素沈着と、他の病気による皮膚症状の区別できていないのではないか、と疑った。
 ナラヤン運転の車にDr.シディクル、KK、ラジュ、フィローザが乗って、患者の見つかっている村を回ることにした。最初に行ったフルスラユニオンフルスラ村で、フィローザが見つけた3人の女性患者が待っていた。2人には軽い色素沈着と角化がみられた。1人については「ボーダーだ」とDr.シディクルが言った。アラッダ村の茶店で、砒素中毒の初期症状の青年を診た。そこへ、隣のシップナゴル村から、軽い症状をもった若い男たちが次々とやってきた。若者に軽度の砒素中毒症状がでていることから、年寄りには、もっと進んだ症度の患者のいることが推測された。フィローザが集めた患者をみて、Dr.シディクルは「彼女は砒素中毒の症状を正確に判断している」と評価した。
 フルスラユニオンからドゥリアニユニオンに向かう途中、薬屋の並んだ通りに車をとめた。フィローザが、数人の患者に集まるように声をかけていた。その中に、足の裏の角化のひどい患者がいた。チョウガチャ郡には、郡病院のリストをはるかに上回る患者がいることは確実になってきた。重症患者が埋もれている可能性も高い。「非常に深刻だ」とDr.シディクルが言った。
 クシチアバオルという三日月湖を渡る土盛りの道路を、ナラヤン運転のプラドは、がたんがたん揺れながらゆっくり進む。車の幅と道幅はほとんど同じだ。Dr.シディクルが「こわくないか」ときく。「ナラヤンが起こした事故で死ぬのなら後悔はない」と、KKが答える。「それは、ナラヤンがゴッドだということだ」。「ドライバーゴッド」とKKが答えて、大笑いになった。
 車の窓から、村人の胸に色素沈着のあるのが見えた。車を止めた。ベリゴピンドプル村のモリクパラである。出会う村人は、子どもをのぞくと、ほとんどみんな皮膚症状をもっている。目が赤いのは結膜炎の症状だ。「横になると咳がでる」と、気管支炎を訴える人もいる。角化のひどい重症患者、初期皮膚がんと思われる症状の患者もいる。フィローザが「このパラに1日来ただけで35人の患者を見つけた。みんな郡病院のリストには載っていない」と言った。隣の西パラには行っていないというので、そのパラでも村人の皮膚を見て回った。患者はいなかった。グアヴァの木の下で、新鮮でみずみずしい実をごちそうになった。モリクパラは、砒素汚染のホットスポットのようである。
 最後の目的地クシチア村で、全身の色素沈着と脱失、手足の角化、足の腫れ(エデマ)、結膜炎の現れた患者を多数みた。見るからに貧しい、やせた男の症状がひどい。栄養状態のよい男にはでていない。代替水源がないので、緑に塗られたチューブウエルの水を飲んでいる、という。信頼性の薄いNGOが、数年前にチェックした結果をいまも信じているのだ。早急に手をうたなければならない。
 「ナオキが来てパラミーティングをおこない、バオルを水源にしたパイプ給水をつくることを要請することにした」と、リーダー格の男が言った。これまで対策をとられてこなかった村が、ジコルガチャ郡との境に近い遠隔の地に残されていた。JAMPは、村の人の期待に応えるべく活動をつづける。

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難しさと頼もしさと~シャシャ郡代替水源見学~

 シャシャ郡には、JICA・AANプロジェクト(2002年―2004年)が設置した代替水源が63基あります。そららが、今回のプロジェクトで建設する代替水源の基本になります。チョウガチャのフィールドワーカー10人と患者モニター1人 が、7月3日、その見学にシャシャ郡を訪れました。
 シャシャ郡のプロジェクト事務所に集合。出発前のミーティングで、プロジェクトマネージャーがこう挨拶しました。
 「1998年に本格的に始まった砒素汚染対策で、全国にたくさんの代替水源がつくられました。すでに多くのものが使われなくなっています。今日は、シャシャ郡の代替水源を見て回りながら、どこに問題があるか、どうすれば解決できるかを考えてほしい。私たちが活動しているシャシャ郡とチョウガチャ郡は、もっとも対策の難しい地域です。ここの問題を解決できれば、全国の問題を解決できます」

_1  ワゴン車3台で出発です。向かう方向に黒雲がたちのぼっています。雨が近づく予感の中、テングラ村の北パラで深井戸サンドフィルターの見学が始まりました。当初、ダグウエルにサンドフィルターをつけていたのですが、ダグウエルの砒素濃度が高かったので、深井戸に替えました。よく見ると、深井戸のポンプの吐き口がフィルターからはずしてあって、砂フィルターは使われていません。激しく雨が降り出したので、民家にはいって、利用者から話をききました。乾季に地下水の水位がさがり、手押しポンプが重たくなったとき、利用者はポンプを押すことはせず、フィルターの水をくむだけになったといいます。すぐにフィルターの水がなくなり、フィルターが用をなさなくなったので、ポンプの口の向きを替え、フィルターなしのふつうの深井戸として使うようになったといいます。「フィルターを通した水の方がおいしい」という村人の言葉に慰められながら、テングラ村をあとにしました。

_2  カリアニ村の道路沿いにムスリム・エイドという団体が掘った深井戸があります。ポンプは赤くさびて、口に含むと、塩の味がしました。このあたりの深井戸は塩分濃度が高いのです。利用者は「おいしい」と言っていましたが、この塩水を毎日飲みつづけて健康に問題はないか心配です。
 カリアニ村のPSFは、池の水が十分にあって利用されていました。ところが、こんな話を聞きました。「土地と池のオーナーが、PSFの水をトイレ掃除に使ったりする。他の利用者がそれに反発して、11人の利用者組合メンバーが1対10に割れている」と。
 同じカリアニ村に「おいしい」と評判で、年間通して利用されているダグウエルサンドフィルターがあります。ふたつの池にはさまれていることが、水量の豊富な理由でしょう。近くにあるチューブウエルの水がすべて涸れた時期、何百(?)世帯も汲みにきたそうです。塩素の滴下がされていて、管理もいきとどいています。うれしいケースでした。

 小学校に設置したダグウエルサンドフィルターは、ポンプや蛇口が持ち去られて、無残な状態でした。小学生にきれいに保つように指導しても、言うことをきかずに、おしっこをする、いたずらをする。集落から離れているので、村の人が利用することもなかったようです。公共施設に設置するのは大切なことですが、子どもたちのしつけや住民による維持管理のことを考えると、あまり勧められないようです。
 参加者は、施設を見学し、利用者の話をききながら、熱心にメモをとっていました。メモをとるバングラデシュ人の姿はきわめて珍しいことです。
_3 <使われていない代替水源・小学校で>

 午後6時をすぎて、シャシャ郡のプロジェクト事務所に戻ってきました。しめくくりのミーティングで、現地見学の感想や意見が次々ととびかいます。最後に、プロジェクトマネージャーがこんな話をして結びました。
 「今日は、みなさんの熱心な姿をみて頼もしく思いました。これだけのスタッフが集まったのだから、このプロジェクトは成功すると確信しました。プロジェクトは、住民が主体で地方行政がそれをサポートするシステムづくりが目的です。みなさんは、システムづくりの後押しをするのが役割です。その難しい課題にむかい、いっしょに力を合わせていきましょう」
 代替水源の維持管理の難しさを痛感するとともに、若くてやる気のあるスタッフに頼もしさを覚えた一日でした。

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エコロジカル浄水法

 ジョソール県シャシャ郡のプトゥカリユニオンに、バオル(三日月湖)の水を砂利槽と砂槽を通して浄水し、300世帯に給水する施設がある。シャシャ郡では、2002年から2004年にかけて、JICA・AANの「移動砒素センタープロジェクト」がおこなわれた。そのとき建設され、バングラデシュに適した浄水技術だとして、政府関係者や科学者や水供給技師らに注目された。その水が、2カ月前から飲めなくなっている。

 この問題を解決するために、中本信忠先生が6月28日から7月1日までジョソールに来てくれた。中本先生は、信州大学繊維学部で藻の研究をしている。その研究が浄水技術につながったのは、この技術が、藻などの水生生物や微生物の働きで、水をきれいにするシステムであるからだ。
 28日と29日、中本先生とプロジェクトスタッフがプトゥカリのパイプ給水施設を訪れた。3つの問題が起きていた。1つは、三日月湖の水が塩辛くなっていること。川の水量が減って、海水が150キロ遡上し、三日月湖に浸入してきたためだ。2つ目は、三日月湖の水位が低下し、水質が悪化したのに、ろ過の機能が対応できず、蛇口からでてくる水に悪臭が残っていること。3つ目は、毎月15タカ(約28円)の利用料金を払わない家庭がどんどん増えてきたこと。これは、水質の悪化が原因している。

Krk060630_023 30日午後4時半から、コルシ小学校の校庭に輪ができた。利用者のミーティングの始まりである。まず、一昨日の大雨で塩分濃度が下がったことが報告された。雨がもっともっと降れば、塩味は消えていくだろう。つづいて村の人たちが、どうやって利用料金を集めるか、議論を始めた。
 <共同水栓(5世帯で1つの蛇口を使う)ごとに責任者を決めて毎月集金する。集まらないときは、責任者が立て替えて払う。料金を払わないときは、共同水栓の蛇口をはずして使えなくする>
 村の人の相談で、そう決まった。

 最後に中本先生が紹介された。<水の流れを速くしたら、悪臭が消えて、おいしく飲めるようになります。そのためには、2つあるろ過装置のうち1つを止めて、今と同じ水量を1つの装置でろ過すれば十分です>と指導した。酸素不足で、砂利槽に硫化水素が発生し、卵の腐った臭いがし始めた。それは、水の流れを速くすることで解決する、というのだ。

Krk060630_030_1  <村人の前でエコロジカルフィルターの説明をする中本先生>
 この装置は、1903年にロンドンのテムズ川の汚れた水を飲める水にするために開発された。水をゆっくりと砂に通す(1日4メートル)ことから「スロー・サンド・フィルター(緩速ろ過)」と呼ばれていた。ところが最近、流速を2.5倍(1日10メートル)にした方が効果的だとわかった。中本先生は、熱帯地方の砂フィルターはロンドンに比べ藻がはるかに茂り、水生生物はずっと多いのだから、流速をもっと速くしたほうがよいと考えている。装置の名前を「スロー・サンド・フィルター」でなく、「エコロジカル・ピュリフィケーション・システム」と替えるように提唱しているのだ。

 プトゥカリからジョソールへ、ナラヤン運転のプラドで帰った。中本先生、KK-Rakan、ミジャーン、シャミム、トルンが同じ車に乗った。こんな話をした。
 「現場で、問題にぶつかってみないと解決策はでてこない」
 「われわれは問題が起こることを歓迎する。問題がわれわれを進歩させるからだ」
 「バングラデシュでは、環境問題がいっぱい起きている。砒素と取り組むことで、環境問題の解決方法を学んでいる」
 砒素汚染の現場から、バングラデシュの明日をになう若手技術者が育っていく。

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ドクタートレーニング2日目

 2日目の医療トレーニングは、シャシャユニオンの会議室でおこなわれました。郡の医師ら7人に、1日目と同様の講義をおこない、午後はシャムタ村で皮膚症状の診断の実習です。
200606181_1 アクタール教授は、シャムタ村に特別の思い出があります。1996年12月、日本からきたアジア砒素ネットワークと応用地質研究会の9人をシャムタ村に案内しました。夕暮れの迫る村で、患者多発地帯を訪ねました。杖をついた青年が、土壁の家の奥からでてきました。肌は黒く、足ははれあがり、横になると咳がでると訴えます。アクタール教授が、 レザウル青年の肝臓をさわると、はれあがっていました。「このままでは数カ月ももたないだろう」と言いました。

<写真 10年前のレザウルとアクタール医師>

 
 それから10年がたちます。この間、アジア砒素ネットワークがシャムタをパイロット村に選んで、砒素汚染調査や飲料水供給や患者救援の活動をおこないました。JICA開発パートナー事業の対象地域にもなりました。300本近くある井戸のうち90%が汚染されていた村に、深井戸やポンド・サンド・フィルターやダグウエル・サンド・フィルターが設置され、安全な水がいきわたるようになりました。
200606182  レザウルがアクタール教授のところにやってきました。キヤという娘を連れています。結婚して、2人の娘の父親になったのです。リキシャバンのドライバーとして働いて、家族を養う収入を得ています。アクタール医師が、10年前にやったようにレザウルの肝臓を触診し、「正常だ。問題ない」と言いました。レザウル青年の回復は、10年つづけてきた活動が着実に成果をあげてきたことを教えています。

<写真 「正常だ。問題ない」>

200606183_1 押川専門家は、2日間のトレーニング実施で、1カ月の派遣期間をしめくくって帰国しました。戻った先は、タイ南部のハジャイにあるソンクラ大学です。

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ドクタートレーニング1日目終了

 6月17日と18日、郡医師を対象にした「砒素中毒患者の健康管理に関するトレーニング」をおこないました。企画したのは、保健担当の押川専門家です。
 17日は、チョーガチャ郡の保健施設(ヘルス・コンプレクス)で、政府機関やNGOの医師など7人と、プロジェクト関係者6人が講義を受けました。講義の内容は、保健省保健局(DGHS)砒素担当シディクル・ラフマン氏による「砒素概論」、予防社会医学研究所(NIPSOM)のアクタール教授による「砒 素中毒患者の確認と健康管理」、ジョソール県のアブル・バシャル保健局長による「健康調査継続のシステム」などです。アクタール教授とラフマン氏は、バングラデシュの砒素中毒に関する第1人者。「ビッグ2」を講師として呼ぶことができたのも、これまでの活動の蓄積があればこそ……。

200606171<DGHSのラフマン氏による講義>

 4時間あまりの講義のあと、マルア村を訪れて、患者の皮膚症状の見分け方と記録の仕方の実習をおこないました。
 近くのプルシュラ村から来た女性は、右手のひら中央の皮膚が破れて、赤い身がむきだしになっています。3年前からでた症状だといいます。皮膚がんが疑われます。関係者で協議して、早急に皮膚の生検を実施することにしました。検査の結果をみて、どのように治療を進めるか検討します。政府プロジェクトは、患者個人への治療援助をおこないません。NGOであるアジア砒素ネットワークが、これまでの経験をいかして治療に協力することになるでしょう。

200606172 <フィールドでの患者確認トレーニング>

 肺結核の疑いがある患者が5人見つかりました。至急、呼吸器専門の病院で、その確認をおこなって対策を考えます。日本の砒素公害のむら土呂久でも、肺結核を疑われた患者が多くでました。砒素は呼吸器を冒します。結核菌に感染しやすくなるのでしょう。土呂久では「菌のみつからなかった結核患者」がいたと聞きました。似たような呼吸器症状を「結核」と診断していたとも考えられます。
 マルア村でも、土呂久と同じような状況が起きています。保健面での対策も急がねばなりません。

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想定内で進んだセレモニーの幕切れ……

 オーラルサラインの効果は抜群である。JAMPのプロジェクト・マネージャーKK-Rakan2日間、下痢に苦しんだ。なにも食べる気がしない。医療相談員のアクリマが、やつれたKK-Rakanにオーラルサラインを飲むように勧めた。バングラデシュで、下痢の特効薬としてつくられている。訳すと「経口補塩水」。たかが塩水で、原因不明の下痢が治るものか、と思った。値段をきくと、非常に安い。ためしても損はない。運転手のショロジットに20タカ渡した。オレンジの袋にはいったオーラルサライン10袋を買ってきた。簡単に手に入るのだ。アクリマが「クリーンな容器に、クリーンな水を半リットルいれて、袋を切って粉をまぜ、クリーンなスプーンでかきまぜる」と手ほどきしてくれた。「クリーン」を強調するところが面白かった。

 前日、2袋をペットボトルの水でといて飲んだ。今日126日は、プロジェクト開始式(Launching Ceremony)のある日だ。目が覚めた。調子がよい。オーラルサラインのおかげである。この季節に特有の霧はでていない。飛行機は予定通りに、ダッカのゲストを運んでくるだろう。

 朝8時すぎ、1階のレストラン「Bachelor.com(バチェラー・ドット・コム)」に降りていく。トルンやトゥフィンらスタッフが正装している。オレンジジュースをぐいと飲み、ルティに蜂蜜をつけて食べる。今日は、特性の鶏肉スープがついていた。ロヒマに、鶏肉をゆでて塩をいれるだけでよいと指示した。それだけで、こんなにおいしいスープができた。空も心も晴れ渡った朝だ。

食べ終わったところへ、携帯電話を手にした麻子がはいってきた。

「飛行機が遅れるそうです。9時半出発の予定が11時半に変更になったと、JICAの菅原さんから連絡がありました」

 ダッカからのゲストは、バングラデシュ政府の地方自治局(LGD)の次官、デプティセクレタリー(水供給部次長)、公衆衛生工学局(DPHE)のチーフエンジニア(局長)、地下水サークル部長ら計7人。日本側は、大使館の紀谷昌彦参事官、JICAバングラデシュ事務所の新井明男所長、菅原卓也氏ら4人。

次官はチーフゲストとして、式の最後にスピーチをする。水供給部次長は、このプロジェクトのPD(プロジェクト・ディレクター)なので、始まってすぐにプロジェクト概要を報告する。DPHEのチーフエンジニア、紀谷参事官、新井所長はスペシャルゲストとしてスピーチをする。これらゲストなしには、式は成り立たない。

予定だと、式は11時半に始まり、午後135分に終わり、それから昼食になるように組んでいる。飛行機がダッカを11時半に出ると、到着は1210分ごろだ。空港から、会場のある県庁まで15分はかかる。そうすると、早くて12時半着ということか……と数字が頭をかけめぐる。

そこへ、島村がやってきた。関係者と対応を検討することにする。島村、直樹が9時に県庁へ行き、DDLG(地方行政担当の知事補佐)と会う。一方でKK-Rakanは、ダッカにいるプロジェクト・ディレクターのショヒクル氏に電話をかけて打ち合わせることにした。

携帯電話にでたショヒクル氏は、「いま空港に向かう車の中だ。プログラムを短くして、予定どおり午後2時には終わらせよう」と言った。午後3時から、次官やショヒクル氏が出席する「バングラデシュ南西部の水供給に関する会議」が組んであるからだ。

県庁でDDLGと話し合った島村から電話がはいる。予定通り午前11時半に開始。式次第をかえて、ジョソールの参加者のプレゼンテーションを先におこない、ダッカからのゲストのスピーチはあとにまわす、という。

ショヒクル氏に電話し、変更の内容を伝える。「俺のプレゼンテーション(プロジェクト概要)は、プロジェクト・マネージャーにやってもらいたい」という返事である。他人に、重要な出番を譲るプロジェクト・ディレクターもえらいが、突然ふられた30分のプレゼンテーションを直前に引き受けるプロジェクト・マネージャーもえらい。さらにいえば、2人の間にできている信頼関係もすごい。

短時間に、対応が決まった。緊急時に、バングラデシュ関係者はてきぱきと方針を決めていく。ひときわ落ち着きはらっていたのがワゼド知事である。午前10時半、トマトの乗った車が、まちがえて県庁に行かずに知事公舎に行った。トマトが車を降りると、庭にたてた大きな日傘の下で、ワゼド知事はチャを飲んでいた。トマトは「いっしょにチャを飲んでいかないか」と誘われた。「みんなが大騒ぎしているときにチャを飲むなんて」。半分はあきれ、半分は感心した。

飛行機の到着2時間遅れで、式次第をかえて対応する。こんなことは、想定内のできごとなのだ。あわてることはない。

知事室隣の会議場に150人が集まった。予定より10分遅れて、午前1140分に式は始まった。司会は、県庁職員の女性がつとめた。事前に習った日本語をまじえて進行する。てなれたものだ。バングラデシュでは、中央政府に就職した官僚は、まず地方(県、郡)勤務から出発する。彼女もキャリア組である。

ワゼド知事がWelcome Speechをしているとき、ひな壇に座ったKK-Rakanに、オマル・ファルク副知事が声をかけてきた。

「日本人女性がえらく多いが、ダッカから来たのか」

「いや、みんなジョソールにいる」と答える。

数えてみると、日本人女性は、民子、麻子、純子、トマト、尚子と5人いる。そのうち4人がサリーとサロワカミューズを着ているのだから、目立つはずだ。

26_jan20061(右写真:急遽代理プレゼンテーションをすることになったKKが、会場準備中に急いでメモを作成する)

プレゼンテーションにうつった。チョーガチャ郡のオショク・クマル郡長が「啓発活動と砒素対策委員会の活動」について。公衆衛生工学局ジョソール事務所のサイフル・ラフマン所長が「安全な水供給」について。ジョソール衛生局のアブル・バサル局長が「砒素中毒患者の支援」について。このプロジェクトでどんな活動をするか、説明していく。最後のプレゼンテーションが、ショヒクル氏からプロジェクト・マネージャーのKK-Rakanにまわってきた「プロジェクトの概要」である。KK-Rakanに、他のプレゼンテーションをきく余裕はない。ひたすらメモを作りつづける。

会場係のラジュがKK-Rakanの後ろにきて、飛行機が1130分にダッカ空港を離陸した、とささやく。プレゼンテーションの始まる前に到着すれば、もちろんショヒクル氏がやることになる。準備は必要なのか、と思いつつも、メモを書きつづける。ラジュが来て「1210分にジョソール空港に着陸した。あと15分で会場にくるだろう」とささやく。幸いなことに、アブル・バサル局長の話はだらだらして長い。これだと、ショヒクル氏の到着前に終わることはなさそうだ。1235分になった。局長の話はつづいている。ショヒクル氏はやがて着くはずだ。KK-Rakanはラジュを手で招いた。

「俺は代理のプレゼンテーションはやらない。もし局長の演説がショヒクル氏の到着前に終われば、そのあと休憩をいれよう」と伝えた。ラジュが戻ってきた。副知事が「休憩なしでつづける」と言っている、という。

とっくに到着していいはずなのに、ダッカ組は来ない。空港から県庁の間で事故でもあったのか。けげんな気持ちで、KK-Rakanは、プレゼンテーションに立った。突然の交代だが、パワーポイントのスライドが用意してある。それにそってやればよい。

半分近く進んだ。会議室のドアがあいた。参加者が立ち上がる。先導役のワゼド知事を先頭に、チーフゲストのジャフルル・イスラム次官はじめ、ダッカ組がはいってきた。KK-Rakanのプレゼンテーションは中断した。後ろを通るショヒクル氏に「交代するからな」と小声で伝えた。5章にわかれた「プロジェクトの概要」の3章までおわらせて、ショヒクル氏に替わった。

26_jan20062

KK-Rakanには、式の最後の「Vote of Thanks」(お礼の言葉)が割り振られていた。ショヒクル氏のプレゼンテーションが終わり、ダッカから来たゲストのスピーチにうつった。こんどは、持ち場のVote of Thanks の原稿の手直しだ。ひな壇で、ゲストのスピーチを聞きつつ、原稿を直していった。次官のスピーチが終わった。いよいよ出番である。

司会の女性がベンガル語で紹介している。KK-Rakanは、原稿を手に椅子から立った。ラジュとシャミム・ウディンが飛んできて、KK-Rakanを椅子にすわらせた。

「知事が代わって挨拶することになりました。プレゼンテーションをやった人物がVote of Thanksをやるのはおかしいという理由です」

なんだって! こんな突然の変更は考えられない! 俺は、午前1時すぎまで起きて準備し、この席でも、原稿に手を入れた。参加者に配った式次第にも、俺の名前でやることになっているではないか。想定外のできごとで頭が混乱している間に、知事はなめらかなスピーチで、式をしめくくった。会場から拍手がおこる。納得できないまま、みんなに合わせて、ぽんぽんと手をたたいた。

124日までの滞在予定を28日まで延ばしたのは、この式を見届けるためだった。式は、多数の参加者とゲストのみごとなスピーチでもりあがった。その意味でほっとした。想定外が起きたことは、今日も楽しみがあったということだ。そう思うとしよう。 26_jan20063

もうひとつ、想定外を追加しておこう。ダッカ組を空港で迎えた麻子から聞いた話である。

KK-Rakanが「来るのが遅い」といらいらしながら、代理のプレゼンテーションをこなしていたとき、ダッカ組はジョソール空港のVIP室でチャを飲んでいたという。定刻から2時間遅れ、式が始まって1時間もたっていたのに……。これは、まったくの想定外というか、日本人の常識外。こんなときに空港のVIP室でチャを勧めたのは、誰か? 思い当たる人物はいる。

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砒素による発がんの怖さを証明する一家の運命

 イード休暇最後の日である。それでもJAMPは働く。KK-Rakanと純子は、ショロジット運転のワゴン車でマルア村に行った。チョーガチャ郡で、多くの重症砒素中毒患者のでている村である。アジア砒素ネットワーク(AAN)が5年前から、シャムタ村につづくモデル村として、砒素汚染の調査と対策を進めてきた。

バザールの入口のチャドカン(茶店)で、マルア村砒素対策委員会のラジャック委員長がチャを飲んでいた。2日後の月曜日が娘の結婚式だという。明日、ガイホールという儀式をおこなう。結婚式の前日、花嫁は顔などにターマリックを塗って体を清める。そんな話をしていると、ミジャヌール・ラフマン(40歳)がやってきた。体中に黒い色素沈着がある。厚くもりあがっている箇所は、ボーエン病(前がん症状)だ。

4人の兄弟と、他村に嫁いだ3人の姉妹がいた。4人の兄弟は近くに住んで、同じチューブウエル(手押しポンプ井戸)の水を飲んだ。そして、全員、砒素中毒にかかった。長兄のアルタフ・ホセインは、2年前に52歳で死んだ。皮膚がんの手術を受けたあとだった。2番目の兄アブドゥル・アジズ(48歳)は、肺がんが見つかり、ダッカの病院で化学療法を受けている。治療の1周目を終えて、いま村に帰ってきている。3番目のミジャヌールには、前がん症状と呼ばれるボーエン病がある。末弟のユスフは昨年、肺がんで死んだ。がん多発の元凶が、共同で利用したチューブウエルであることに間違いない。その井戸は、今はこわしてしまってない。

14_jan20061バザールでミジャヌールと話していると、一時退院中のアブドゥル・アジズが、マイメンシンの農業大学生の息子とやってきた。アブドゥル・アジズは、地方政府で働いている人物で、鋭い目をしている。杖をついていても、弱ったそぶりはみせない。

「ダッカの病院で化学療法を受けている。すでに11万タカ(約20万円)払った。明日からダッカに行って、2回目の化学療法を受ける。お金がつづかない。援助してほしい」と訴えた。

バザールの東の広場に、2001年にAANが掘削した深井戸がある。深層地下水は砒素を含んでいないと考えられている。砒素のない水を求めて掘りすすめたところ、140メートルのところで小石の層にぶつかった。バングラデシュの掘削法では、それ以上掘っていくのは無理だった。手押しポンプを設置し、セメントのプラットホームをつくり、飲用できるようにした。最初は、基準以下の安全な水がとれた。数カ月後、砒素濃度が基準の4倍にあがった。それ以降、高いときには0.3mg/lまでなって、安心して提供できなくなった。20056月、AANは、砒素除去のための砂利と砂のフィルターをつくった。地下水に含まれている不純物が除かれて、「おいしい」と評判がよく、多くの人が水汲みにくる。

マルア村には、砒素対策委員会のほかに、5人の青年でつくったヤングコミティがある。宮崎大学や九州大学や応地研の調査活動のサポートをしている。そのうちの4人が現われた。フィールドキットで、砒素濃度を測定してもらった。フィルターに入る前の水は、砒素濃度が0.3mg/l、基準の6倍だったのに、フィルターを通って蛇口からでてくる水は、0.01mg/l以下。ほとんど砒素を含んでいなかった。砂利と砂のフィルターが、十分に機能している。安心だ。

深井戸から、東へ100メートルのところに、故アルタフ・ホセインの家がある。妻のロケヤ・ベグムの右手は半分しかない。皮膚がんを手術したとき、小指と薬指を切除したのだ。夫は、皮膚がん手術を受けて、そのあと死んだ。夫の弟2人は肺がんにかかり、1人は死亡し、1人は化学療法を受けている。砒素はがんを引き起こす。その怖さを、この一家の運命が象徴している。アルタフ・ホセインの家の庭に、兄弟が共同利用した井戸をこわしたあとに掘った、新しいチューブウエルがある。その水から、1.0mg/l前後の砒素が検出される。基準値(0.05mgl)の20倍である。

ロケヤが口の中をあけてみせる。腫れものができたり消えたりする。不安だから、ダッカの病院で検査を受けたい、という。夫が死んだあと収入がない。ニワトリを10羽飼っているが、自分のうちで卵を食べたり、肉を食べたりするだけだ。教師をしている娘夫婦の援助で、細々と暮らしている。治療費はない。症状は悪くなるばかりだ。AANに援助してほしい、と懇願する。

これは、ロケヤだけの問題ではない。夫をなくした砒素中毒患者の女性が、どうやって暮らしていくか、深刻な問題だ。昨年4月、シャムタ村で死んだシャヒダも、食べるものがなく、栄養が足らず、呼吸器の症状が回復せず、3人の子どもを残して死んだ。

生活費を援助することは、なんの解決にもならない。解決策は、村の女性が収入の道を切り開くことだ。純子は、シャムタ村の砒素中毒患者に牛やヤギを貸して、その収入を家計の足しにしてきた経験がある。ロケヤに「ヤギを飼わないか」と勧めた。貸した雌ヤギがこどもを産めば、半数を貸主に返し、半数を自分のものにする。ロケヤは「やりたい」と答えた。「ミシン仕事もやりたい」と言った。

14_jan20062 バシ・ロンネサが、2つのアルミのコルシ(壷)をかかえて現われた。郡の動物病院でニワトリにワクチンをうつ仕事をしている女性だ。ロケヤに頼まれて、毎日2回、川のそばの泉に水汲みに行っている。ロケヤは、家族みんな砒素中毒にかかり、次から次にがんにかかっていくことで、飲料水には細心の注意を払っている。深井戸ができたとき、喜んでその水を飲んだ。砒素濃度がだんだん高くなっているときいて、深井戸をやめた。AANが、ダグウエル(つるべ井戸)に砂フィルターをつけた装置をつくると、その水を飲むようにした。乾季になると、その水が涸れた。九州大学大学院の谷先生が、雨水貯水装置を設置してくれた。雨季には、その水を飲む。乾季になって、1カ月もすると、ためていた水がなくなる。500メートルほど離れたところに、小さな川がある。その近くに、湧き出す水がある。砒素をふくまない伏流水だ。この水を沸かして飲むことにしている。水をいれたコルシの重さは15-20キロになる。それを2つ運ぶのは重労働だ。病弱なロケヤにはできない。月100タカ渡して、バシ・ロンネサに運搬を頼んだ。

14_jan20063 住宅地をぬけて、田んぼのあぜ道を行く。堤防が見える。その手前、あぜ道の下にホテイアオイの浮いた水たまりがある。ロンネサがホテイアオイをおしのけると、澄み切ったわき水が現われた。おそらく川の水がわきだす泉だろう。足を水につけながら、ロンネサはコルシにぐいっと汲んで引き揚げて、腰にのせた。ひとつを右腰、ひとつを左手にもって、ロンネサは歩きだした。両方で40キロ近くなる。重たいから、早足である。純子が手伝うことにした。ひとつのコルシを受け取ってがっちりした腰にのせた。さまにならない。きっと、水運びのこつがあるんだ。KK-Rakanも、ためしにやってみたが、腰骨がでていないせいか、ずるずると落ちそうで、かっこう悪かった。

ロケヤの家のすぐ南に、モスクがある。4人の兄弟が飲んでいた井戸は、モスクのそばにあった。広場で、牛を放して飼っているヒンドゥーの女性に会った。子どもを産ませて、育てて売るらしい。そこに、ハヒスール・ラフマンという男がやってきた。「俺の家に来い」と誘う。ついていくと、門構えの大きな家にはいった。ケジュルという甘い樹液でつくった砂糖を食べさせてくれた。コップについだ水がでた。飲んでみた。臭みのない水だ。

「なんの水を飲んでいるのか」ときいた。「ダグウエルの水だ」と答えた。「チューブウエルの水を飲みなれていたので、変えるときは抵抗があった。しかし、チューブウエルは危険だから、もう飲むのはやめた」と言った。

14_jan20064 ハヒスール一家は、300メートルほどはなれたところにあるダグウエル・サンドフィルターの水を飲んでいた。2年前にAANが設置した。マルア村の南に位置し、近くに池があって、ダグウエルの水量も水質も申し分ない。「誰が、水を汲みに行くのか」ときくと、ハヒスールは「俺だ」といって、自転車を持ってきた。ハヒスールは、自転車にのっていき、何本ものペットボトルに水をつめ、それを布の袋にいれて、ハンドルにつるして運んでいる、と説明した。水汲みは、通常、女性の仕事である。そうした分業に、変化が起きはじめている。

JAMPは、シャシャ郡とチョーガチャ郡の2つの郡を対象としている。2郡とも、簡単に安全な水が見つかりそうにない、難しい郡である。それだけに、チャレンジする価値がある。AANがマルアで実施してきた5年間の経験は、ダグウエルにサンドフィルターを付設する方法、深井戸にサンドフィルターを付設する方法、雨季の雨水利用が有効だと教えている。有力な手がかりである。

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レールのない道を強引に引っ張った時期を終えた

 1月7日に中村純子、8日に島村雅英、11日に石山民子がバングラデシュに到着し、ジョソールに集結した。これで、JAMPに参加する日本人主要専門家7人(直樹、トマト、純子、麻子、民子、島村、KK-Rakan)がそろった。13日午前10時、ルプアナン3階のプロジェクト事務所で、最初のミーティングを開いた。遅れて顔をだした直樹が「病気にかからない人間なのに、3日も寝こむなんて、やばい病気にかかったのではないかと心配したけど、もう大丈夫、治ったようです」と言った。13_jan20061

 直樹は、名古屋大学の大学院生である。2001年に指導教官といっしょにダッカのアジア砒素ネットワーク(AAN)事務所を訪ねた。それがきかっけで、2002年から2003年にかけてインターンとしてマルア村に泊り込み、村の暮らしを体験することになった。2004年には、JICA / AANシャシャ郡プロジェクトのITセンター担当として働いた。地方行政関係者と顔見知りになった。今回のプロジェクトでは、地方行政に持続的な砒素対策制度を築くという難題にいどむ。

13_jan20062  「トマト」と呼ばれだした間藤は、技術士会の集まりで知りあった人に、島村を紹介された。応用地質研究会(応地研)の会合に誘われて、池袋にある事務所に顔をだした。1週間後にバングラデシュに調査にいくときいて、面白そうだと参加した。中学生だった三好万季さんが和歌山カレー事件を追跡した著書「四人はなぜ死んだのか」(文芸春秋社、1999年)を読んでいた。その中に、AANに触れたところがあった。AANの名前が記憶に残っていた。2年後、勤めていた会社をやめて、調整員兼水質管理の専門家としてJAMPに参加することにした。

13_jan20063 純子は、青年海外協力隊員としてメヘルプール県のヤギ農場で働いたことがある。村の女性に、農場で育てた雌ヤギを預ける。ヤギが子どもを産むと、村の女性は半数を自分のものにし、半数をプロジェクトに返す。そんな活動を2年間して帰国、パートをして働きながら、またバングラデシュに行きたいと願っていた。東京のNGOが、バングラデシュの「ヤギと砒素」をテーマにした集会を開いたとき、ヤギ飼育の報告者として招かれた。その会場で、宮崎大学の横田漠教授(AAN副代表)と会って、AANで働かせてほしいと申し出た。2003年から2004年にかけて、シャシャ郡プロジェクトに加わって「啓発・住民参加促進」の仕事をした。JAMPでも同じ役割を受け持つ。

13_jan20064  民子は、1971326日に生まれた。バングラデシュ独立の日は1971327日。「日本とバングラデシュの間の時差を計算すると、私はバングラデシュ独立の日に生まれたことになる」と言う。バングラデシュが大好きで、居住歴は5年以上、バングラのあらゆる面に通じていて、旅行人ウルトラガイド「バングラデシュ」には、民子の執筆したところがかなりある。バングラデシュに関する総合雑誌「遡河」の編集もしている。家が埼玉県にあることから、AANの都市圏の活動をとりまとめてきた。JAMPでは、間藤とともに調整員をつとめる。娘の「まりん」を両親に預けて、バングラデシュに来た。

13_jan20065 麻子は、京都大学大学院に席を置く主婦である。大学卒業後、建設 コンサルタント会社に勤務した。応地研のメンバーになり、休暇を使って、バングラデシュの地下水砒素汚染メカニズム解明の調査に足をはこんだ。会社をやめて結婚し、京都大学大学院に席をおいた。シャムタ村とマルア村に通ううちに、2004年にAANジョソール事務所長となり、シャシャ郡プロジェクトをとりまとめた。JAMPは、民子と麻子が中心になって、細かいプランをたてた。予算は主に民子、活動計画は麻子がになった。麻子は、プロジェクトの代替水源建設を担当する。

13_jan20066  島村とバングラデシュ砒素汚染のつながりは、199612月に始まった。AANと応用地質研究会(応地研)が実施した予備調査のメンバーの1人なのだ。それ以来、シャムタ村とマルア村における水文地質調査に関わってきた。JAMPが始まることになり、横浜市役所をやめて「副総括(Sub Project Manager)」として参加した。

13_jan20067  KK-Rakan35年以上、砒素と関わってきた経歴をもつ。昨年11月、岩波ジュニア新書で「アジアに共に歩む人がいるーヒ素汚染にいどむー」を出版した。そこに、どうしてバングラデシュの砒素汚染と取り組むようになったか書いている。

 この7人が、ジョソールで勢ぞろいした。初のミーティングで、4カ所の事務所開設に向けた動き、資機材購入の状況、スタッフ雇用にむけた動き、126日に決まった開始式(Launching Ceremony)の内容、今月中に準備するガイドラインのことが話し合った。

 イード明けに始まる本格活動の態勢がととのった。レールのない道を強引に走ってきた時期から、見えてきたレールの上を進んでいく時期への転換点、それがこのイード休暇(10日~14日)になっているように思う。

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