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フィールドワークだからこそ

9月9・10日に宮崎県立看護大学1年生が土呂久で1泊2日のフィールドワークを実行しました。その学びをクラスで共有しようと発表会が本日行われ、ご厚意で聞かせてもらいました。

学生さんたちは 人権論 の視点をもって土呂久を目指しました。

フィールドワークに参加した6名はみな宮崎県出身。でも”土呂久”を聞いたのは大学生になって初めて。地元なのに公害があったことを知らない・・・という驚きを抱え、土呂久へ向った。”公害”から想像していた土呂久のイメージを打ち破る、緑豊かで空気も澄んだ現在の土呂久。佐藤慎市さんの案内で谷あいの集落を回り、鉱山操業当事や、荒廃した山を写真で見比べる。遠い過去のような写真だが、数十年しか経っていない。

土呂久という場所に来て、ようやく、はじめて、土呂久公害をわかることができた、と言っていた。

操業の様子を知るお二人のお話からも、当事のすさまじい状況を知った。”戦争に行って8年後帰ってきたらそこが土呂久だとは信じられないくらいに変わり果てた集落を目の当たりにした” ”白い煙で覆われていることが普通の光景だった それが当たり前だと思っていた”など、今ならそれは異常だと思えることだが、それを受け入れざるを得ない状況がそこにはあった。 荒廃する地区では農作物が育たず、家畜も死ぬ、農業で生計を立てられなければ鉱夫になって賃労働をしなければ食べていかれない。鉱山で働けば、亜ヒ負けで体中がおかしくなる。それでも止めるわけにはいかない。苦しい選択をしながら住民は土呂久という地で生きてきた。

鉱山があったから潤い、しかし、鉱山があったから悲惨な公害がおきた。

いや、鉱山があったから公害がおきたのではない。利益優先で人間を無視した操業をしたために公害がおきたのだ。環境やそこで働く人々への配慮などが欠けたのだ。

公害の発生はもう止んだ。しかし土呂久に暮らす人々には今でも禍根を残している。負の遺産を思い出したくないという人もいる。

でも過去のことではなく、これからの教訓として、しっかり後世に伝えなければならない。

その土地で当事者の口から生の声を聞いたフィールドワークだからこそ、資料だけでは伝えきれない、人としての学習があったようだ。

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